CLOSE UP HEART

第8回 血友病とHIV感染症

血友病の専門医(家)に監修の吉岡章先生がインタビューし、ひとつのトピックスを掘り下げる「クローズアップハート」。今回は、第32回日本エイズ学会において「加熱後の血友病診療医から見た薬害エイズ~現在の医療安全的視点から~」という論文考察をまとめてご講演された兵庫医科大学血液内科の日笠聡先生を吉岡先生からご推薦いただき、血友病とHIV感染症の過去・現在・未来についてお聞きしました。

先生の写真
兵庫医科大学病院 血液内科
日笠 聡先生 (写真左)
日笠 聡先生 プロフィール
  • ●1987年3月 兵庫医科大学卒業
  • ●1987年6月 兵庫医科大学 第2内科 研修医
  • ●1989年4月 兵庫医科大学大学院入学
  • ●1993年6月 医療法人錦秀会 阪和記念病院内科医師
  • ●1995年10月 兵庫医科大学 第2内科 医員
  • ●1996年4月 兵庫医科大学 第2内科 助手
  • ●2001年4月 兵庫医科大学総合内科学講座 助手
  • ●2003年3月 兵庫医科大学内科学講座(血栓止血・老年病科)講師
  • ●2005年4月 兵庫医科大学内科学講座 血液内科講師
病院の写真
兵庫医科大学病院
〒663-8501
兵庫県西宮市武庫川町1-1
TEL:0798-45-6111(代表)
URL:https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/

HIV感染症の過去から現在までの経緯

吉岡先生HIV感染症は血友病医療にも極めて深刻な事態をもたらしました。患者さんとご家族の深い悲しみと日々の苦悩は筆舌に尽くし難く、製薬企業と政府、そして、医療者は深く謝罪するとともに安全な製剤の開発を含め、再発防止に努めることを誓いました。あれから40年、改めてHIV感染の経緯についてご説明いただけますでしょうか。

日笠先生非加熱血液凝固因子製剤によるHIV感染被害は1980年代前半の出来事です。血友病の治療には先天的に不足している血液凝固第Ⅷ因子または第Ⅸ因子の補充が必要で、出血時の治療や出血予防のためにはできるだけ濃縮された血液凝固因子製剤が求められてきました。1970年以前は輸血くらいしか治療法がなく、その中の血液凝固因子の量は極めて微量です。それを濃縮する技術が年代ごとに進歩し、クリオ製剤を経て70年代後半には「高度濃縮製剤」が登場しました。これを注射することで、それまでにはできなかった重症出血の止血や手術を自由にコントロールできるようになり、さらに在宅自己注射が保険で認められたこともあり、一気に使われるようになりました。しかし、この製剤は多くの人の血液を集めて、その中から血液凝固因子を分画抽出した製剤なので、血液の中に様々な病原体が含まれていた時には感染する可能性がありました。当時はこの製剤によって、B型肝炎や非A非B肝炎(当時はまだC型肝炎ウイルスは発見されていませんでした)が感染するかもしれないが、出血を止められないよりはましと思われていました。’81年にアメリカで「免疫が衰える病気が流行っている」というエイズに関する最初の報告があり、後にこれが、HIVという病原体で起こるということがわかりました。当時はまだ感染してから数年しかたっていなかったので、エイズを発病して診断される人は極めてわずかでした。このため血液製剤でエイズを発病する可能性は一応あるけれど、まだ本当かどうかわからないし、濃縮製剤によってせっかく改善したQOL、ADLが逆戻りするのは避けたいという考え方が主流でクリオ製剤に戻るという選択肢は日本でも諸外国でも取られませんでした。
HIV感染の有無を検査ができるようになったのは’84年頃で、その頃にようやく血友病患者の3~4割の方が感染していることが判明しました。感染者の中で何人が発病するかわからないし、治っている人もいるだろう、というような考えもあり、濃縮製剤の使用は継続する方が良いのではないかと判断されました。同じ頃海外ではB型肝炎の感染を防ぐために血液凝固因子製剤を加熱してウイルスを不活化する技術が開発され、’83~’84年に「加熱製剤」が登場しました。日本でも’85年以降に流通し始めましたが、当時は加熱によりHIVが死滅するのかどうかはわかりませんでした。関係者たちの努力により加熱製剤の臨床試験期間は他の薬剤の場合よりはるかに短縮されていましたが、すでに’70年代後半からHIVが製剤中に混入していたためすでに多くの感染が成立した後でした。’85~’86年以降は加熱製剤に切り替わり、凝固因子製剤によるHBV、HCV、HIVの感染はなくなりました。以上が血液製剤によるHIV感染症の概要です。

※QOL:QualityofLife(生活の質)
ADL:ActivitiesofDailyLiving
(日常生活動作)
HBV:B型肝炎ウイルス
HCV:C型肝炎ウイルス
HIV:ヒト免疫不全ウイルス

HIV治療の進歩と現在

吉岡先生日笠先生は、血友病のHIV感染/エイズ患者さんを長年にわたって親しく丁寧で、適切な専門診療をしてこられたと拝察しております。HIV感染の治療の現況はいかがでしょうか。

日笠先生HIV感染の治療薬は’87年に最初の薬が開発され、’95年以後に大きく進歩しました。’90年代後半は1日20錠近くの薬を5回位に分けて服用していたのですが、今は1日1回1錠服用するだけでいい薬が主流になりました。将来的には月に1回注射をすればいいという薬も出てくると思います。薬さえきちんと投与されていればウイルスが増殖することはなく、免疫機能が悪くなることはないので感染者は発症することがほぼなくなり、日常生活も健常者と変わらなくなりました。

吉岡先生具体的に現在のHIV感染の治療は1剤を服用するだけでほぼ良いのでしょうか。また、血友病の患者さんでこれを服用している方はほぼ安定した状態を維持できるということですが、この薬を服用し続けることが大切ということですね。

日笠先生1剤の中に3つの薬が配合されている合剤です。様々な抗HIV薬が開発されてきましたが、治療のスタンダードは最初に開発された逆転写酵素阻害剤を2つと、キーとなる強力な薬1種類を併せて使います。キーの薬は、当初プロテアーゼ阻害剤で、その後の非核酸系逆転写酵素阻害剤も使われましたが、今は完全にインテグラーゼ阻害剤が中心となりました。半減期も長く効果も強力なため、多少濃度が下がっても十分に効くので、よほどいい加減な服薬の仕方をしない限りは耐性ウイルスが出現することもなくなりました。

血液製剤によるHIV感染の教訓から得たものとは

吉岡先生HIV感染を経験した我々として「安全な血友病治療薬の開発と安定供給」という点についてどう思われますか。

日笠先生遺伝子組換えの標準型製剤は20年以上の臨床実績があり、その間に大きな問題はありませんでした。また、半減期延長型製剤にも今までのところ問題は無いようです。残念ながら、日本国内でこれらを製造するメーカーは無く、逆に国内で製造している血漿分画製剤はどんどんシェアが縮小してきているので、供給の維持が厳しい状況が近づいてきています。そうなると、何らかの理由で海外からの輸入が止まったらどうするのかという問題がありますので、今後考えていく必要があると思います。最近は二重特異性抗体製剤が市販され、血友病Aの重症型でも自然出血はしない状況にできるようになってきました。しかし、これにより血液凝固因子製剤の必要がなくなることにはなりません。ただし、血液凝固因子製剤の需要量が減ってくるため、供給は安定していく可能性もあると思います。

吉岡先生またHIV感染の教訓から今後の血友病の診療体制に関するお考えをお聞かせください。

日笠先生お伝えしたいのは、今は情報をやり取りする量が格段に増加しているので、副作用など、何らかの良くない出来事はすぐに全世界に広がりますし、全世界で方針を決めるのがそれほど難しい時代ではなくなりました。世界中のエキスパートが判断し方向が決まれば、それが世界に広がるのも昔よりはるかに速くなっていますので「気づいたら大変なことになっていた」ということは減るはずです。一方で、情報が多すぎることで逆に判断が難しくなっている部分があるので、いかに情報をうまく整理し、専門医がどう考えているかということを広めていくことが大事かと思います。

(2019年Vol.61夏号)