大石邦子の心の旅

同級生

風知草が風に揺れている。木々の若葉も日々に緑を深め、沙羅双樹の蕾も大きくなった。もうすぐ純白の花が咲く。

この花が咲くと、「茶花に一枝戴けますか」と言ってこられる方がいる。茶道の先生だった。

イラストイメージ 私も健康だった頃は、お茶を習っていた。お茶室とまではいかないが、家にも小さな座敷に炉が切られ、茶室まがいの部屋があった。今もある。

唯、正坐の出来なくなった私には、もう使うこともないが、密かに、炉の前で座る訓練をしてみたりする。けれども、必ず仰向けに転んでしまう。マヒした下半身が言うことを聞かない。

それでも、私は時々、コーヒーや緑茶の代わりに、ひとり抹茶を点てて飲む。特別作法などには拘らず、茶筅で好きなように点て、好きなように飲む。パソコンの机や、台所の小さなテーブルの上で点てる。

先日も、空を眺めながらお茶を飲んでいたら、久しぶりの同級生がやってきた。

「今度は時々来れるね」彼女は言った。コロナ自粛のことを言っていた。

「でもさ、マスク時代は、顔半分化粧すればよかったけど、今度はさ、丸まる化粧だからね、予行練習してさ、ほら、見て!」とばかり、マスクを取った。綺麗にお化粧されていて、笑いが止まらなくなった。

同級生とは17歳からの付き合いである。話さなくても解る思いが沢山ある。でも、彼女たちの人生は深く大きく、妻となり、母となり、おばあちゃんもいる。

私はと言えば、17歳から一直線に年を重ね、人並みの人生を知らないままに、22歳の時に事故で車椅子となり、その現実を受け容れられない自分との戦いの日々だった。がんも患った。

そんな私を、少女時代からの同級生たちが見つめ、手を貸し続けてくれた。今の私は、同級生なくしてはありえなかったと思う。

彼女たちは、私の越えねばならない哀しみを察していたのだと思う。それなら、自分たちが乗り越えさせてやろうと。

入院は8年だったが、同級生は秘密をつくらず、恋人ができると寝たきりの私に紹介し、お見合いの朝は病院に立ち寄り、旅に出ると土産を忘れず、子どもができると連れてきて触れさせてくれた。

30代に入ったある日、ある同級生のお母さんが病室に見えて言われた。いい縁談があるのだけれど、娘は頑として拒んでしまう。理由を聞くと、「動けないクーちゃんに、一人ぐらい結婚しない同級生がいてやりたい。お母さん、クーちゃんが私だと思ってみて」と言うのだと。

私は震えた。そして、その場で決心したことがあった。リハビリの先進地・伊豆の施設をと勧められていたが決心がつかなかった。でもこの友情を思う時、遠すぎる等とは言っていられなかった。

私が伊豆に転地した翌年、彼女は結婚した。二人で送り迎えをし、私を結婚式に出席させてくれた、遠い日の想い出である。

マスクを取った友人が言った。
「私にもお抹茶を一杯下さい。笑い過ぎて咽が渇いちゃった」私たちは、また笑った。

(2023年5月記)
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大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。