大石邦子の心の旅

マジックショー

信じられないような猛暑が去って、一気に肌寒さを感じる季節になってしまった。一寸寂しい気がしないでもない。

そんなところへ、いわき市のマジシャンの友人達が久しぶりにやってきた。新潟でのショーに向う途中らしかった。コロナ禍のこともあり、家には上がらないと、大きな梨を縁側に並べた。

イラストイメージ えっ、こんなところで、手品かなと思っていると、彼女は手を拭き梨の皮を剝き始めた。皆で食べようということかもしれない。

「何言ってんのよ、あんたが剥けないから剝いて上げてるんじゃない、ほら、こうしておくとすぐに食べられるでしょう」

一口大に切った梨は、一個でタッパー一杯になった。そうか、いつも思いがけない思いやりを見せてくれる人だった。

縁側で手品、と思ったことには理由があった。ひとり笑ってしまう。

あれから、3年ぐらいになるだろうか。

ある日、1台の車が家の前に入ってきた。彼女と2人の連れがいた。彼らは、車のトランクから次々と荷物を降ろし、玄関が一杯になった。

どういうこと?私はあっけに取られていた。
「私もだんだん年だからさ、いつまで出来るか解らない。だから、ここで一度見せてやりたかったのよ、邦子さんの家で」

耳を疑った。マジシャンということは知っていたが、こんな所でどうするの!

私は慌てふためき、彼女たちは手慣れたものだった。
幸い、廊下が1間幅だったので、そこを舞台に見立て、奥にある12畳の和室を客席ということにしてか、持参の音楽を流し、マジシャンのドレスに着替えた彼女が廊下の中央に現れた。マジックショーの始まりだった。

少しずつ私のテンションも上がり始め、気が付くと、私は年甲斐もなく大はしゃぎの拍手を送り続けていた。観客は私ひとり。勿体ない。

次々と、不思議でリズミカルなマジックの世界が、古びた廊下で繰り広げられてゆく。

マジックには必ず種がある。にもかかわらず、どんなに目を凝らしても私には見抜けない。人に騙されて楽しいのはマジックぐらいだろう。

彼女の手の中から2羽の生きた鳩が飛び出したときには、さすがに呆然と、目も口も見開いたままだった。
「年だから」と、彼女は言ったが、これだけリズムに乗って、手先器用に振舞えるのだ。まだまだ年など怖くはない。

「この仕事、やめては駄目よ、これが若さの秘訣、脳を老いさせない最高の手段!」

長年続けてきたことを辞める時が一番危ないのだと、老いの生き方なる本には必ず書かれてある。

私も何十年か続けてきた講演を辞めたとき、ほっとした安堵の陰で、記憶力が落ち、声も続かなくなっていた。

やはり幾つになっても、健康には幾らかの緊張感が必要なのかもしれない。そして私には何よりも、心ひらける友の存在である。

もう車椅子からの会津の山々も色づき始めた。

(2022年9月記)
審J2210492

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。