大石邦子の心の旅

雪が降る

全ての色彩を消して雪が降る。家も、庭の木々もすっぽり雪に埋もれて、何もかもが真っ白である。
退職したら静かな森の中で暮らしたいと言っていた友人は、会津の奥地に住まいを構え、冬は薪ストーブの傍らで過ごすのが夢だった。まさかこれほどの雪は想像していなかったのだろう。

イラストイメージ 「薪小屋に行くのが大変!」
彼女は悲鳴を上げる。高校卒業以来、東京で暮らしてきた彼女である。素敵な家を建て、草花を育て、それでも、この2、3年は雪が少なかったので、それほど困らなかったのだと思う。
今は2メートル位あるらしい。これからは雪に慣れてゆくしかない。頑張ろう。

そんな雪の中、東京の末先生から手紙が届いた。先生とはこの20年、一緒に「母から子への手紙」という手紙コンテストの審査をしてきた。泊りがけの20年ともなると、さすがに今では身近な大先輩である。

その末先生、最近すっかり元気をなくしている。慰めの言葉もない。手紙には審査員も辞めたいようなことが書かれていた。

一昨年、あっという間に、二人の妹さんを新型コロナウイルス感染症で亡くしたのだ。自慢の妹さん達だった。

一人は声楽家で、国内外で活躍し、一番下の妹の貴久子さんは家業の末商事を継ぎ、絵の達人でもあった。東京は文京区の後楽園のそばに、代々伝わってきた家のようで、ガソリンスタンドを経営している。

その日も貴久子さんは、いつも出かける時のように「一寸行ってくるね」に、風邪気味だからと付け加え、そこから全てが始まった。

彼女は4日ほど様子を見、入院13日目で亡くなり、後を追うように声楽家の芳枝さんもコロナと診断され、16日でこの世を去った。彼女は人工呼吸器を拒んだのだ。喉は声楽家の命だったのだろう。

貴久子さんは4月23日。芳枝さんは4月27日。4日違いの死だった。

芳枝さんの死がニュースで報じられた時、背後で流されていた曲は、亡き本人の歌うマーラーの「春の朝」というものだった。

末先生は、歌詞が分からず友人に日本語に訳してもらい、その詩を見たとき、妹が自分の人生を察していたかのような衝撃をうけ、涙が止まらなかったという。

 ~お起き! お起き!
  いつまで夢を見てるの
  お日さまが昇ったよ
  お起き!お起き!お寝坊さん~  

見舞うこともできず、死にも会えず、荼毘に付されるまでの8日間は、ビニール袋に密閉されて冷凍室に保管され、独身の二人のお骨は、火葬後ようやくお兄さんの胸に帰って来たのだった。

先生の手紙には、こんな歌が書かれていた。

  歌姫と呼ばれし君よ 起きなさい
  もう起きなさい 「春の朝」です

仮の葬儀は、末先生夫妻だけが立ち会った。コロナが去ったら、二人の音楽葬をしてあげたかった。だがコロナは益々勢いをまし、第6波がそこまで来ている。
今日も悲しみの雪は降って…。

(2022年1月記)
審J2203303

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。