大石邦子の心の旅

携帯電話

今年の冬は、雪が少なくて嬉しい。暦の上ではすでに春。まだ周りは純白の世界ではあるが、陽ざしは確かに春の色を湛えている。
春色の青空は、妙に気持ちまで大きくする。雪の日などには絶対に決心しないだろうことまで、してしまう。これが失敗かどうかは分からないが、先日、使い慣れた携帯をガラケーからスマホに替えてしまったのだ。

イラストイメージ障害を持つ私にとって、パソコンと携帯と電子辞書は生きるための大きな力だった。指が痛んで原稿が書けなくなって15年、それらは全てパソコンが補ってくれ、生活用品はインターネットで購入、支払いも読書もできた。
実際に見て選べないのは残念だが、最低限の生活は、これらの機器に救われてきた。
外出にも携帯は必須。地方には人通りのない道も多く、電動車椅子が動かなくなった時の恐怖を今も忘れられない。携帯で助けを求めた。
ただ、私はパソコン用語なるものを、ほとんど知らない。使っているうちに「この印」は、このときに、という感じで、必要に迫られての覚え方で今に至っている。それで間に合った。
それなのに、「まだガラケーなの?」との言葉に触発された訳でもないが、ついに、スマホに替えてしまった。

確かに、使いこなせれば今よりずっと便利だろう。問題は、使いこなせるかどうかなのだ。

ショップの若い女性が、分からないことだらけの私に、根気よく説明してくれた。先ず、言葉が分からない。今更だが、アプリって?タップ、フリック、スワイプ、QRコードって何?
頭が真っ白になってゆく。何とか、電話をかける、受ける、メール、日程表の辺りまで頭に入れて、店を出た。しかし帰宅してみると、改めて機能の膨大さに、説明されたことまで吹き飛んだ。
電話が鳴ると身構え、マチキャラとかいう人形がホーム画面を勝手に動き回り、何も言っていないのに突然呼びかけて来たりする。私はスマホに疲れ果てていた。

購入5日目だった。何年ぶりかの友人・英君が訪ねてきた。わが目を疑った。この道のプロなのだ。私は、神の導きとばかり叫んだ。こんな偶然があるのか!彼は、以前にも書いたが、私の大切な今は亡き血友病の友・大橋雄二君の療友である。彼の出ていた深夜放送のリスナーでもあった。
学生時代、英君は東京から秋田に帰郷する途中、福島で事故に遭い片脚を失った。福島医大での長い闘病の後、愛する女性と出会い、今は2人の子の父である。
彼は、スマホを持て余している私に、3時間にも亘り、使い方、設定の仕方をもう一度教えてくれた。彼は言った。自分に必要なものだけ、一つひとつ覚えてゆけばいい。焦ることはない。
気持ちが楽になった。
歩けないひとり暮らしにとって、携帯電話は死の床にあっても、手放せないだろうと思う。私には、心をつなぐものだから…。

(2019年2月記)
審J2005103

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。