大石邦子の心の旅

雪かきツアー

白河の友人から、雪かきツアーの連絡が入った。毎年、車で2時間以上もかかる県南地方から、逞しい友人たちがやってくる。

男女12、3人ほどで、男性は一応、家の前の雪を片付け、女性はご馳走作りである。正午から夜まで続く賑やかな食事会の準備なのだ。実はこちらが本番で、残念ながら私はお酒を飲めないが、食材は全て持ち込み、終われば塵まで持ち帰ってくれる仲間たちである。

思えば、このツアーも23年になる。みんな若かったが、いつしか責任ある立場で活躍する人々になっていた。

彼らに出会うきっかけを作ってくれたのは、当時まだ20代だった、浩美ちゃんという可愛い女性だった。

彼女が初めて私の家を訪ねてきたのは平成4年、会津に「骨髄バンク」を立ち上げたいので協力してほしいということだった。

日本の骨髄バンクの草創期で、ドナー10万人を目指して全国のボランティアが動き始めた時期である。白血病患者に何とかなる道があるのなら、ぜひ協力したいのだと彼女は熱く語った。その熱意に打たれた。

2年後、白河にも支部ができた。以来、白河のボランティア仲間が、会津の雪の多さに、雪かきツアーなるものを計画し、我が家を訪ねるようになった。交流の場作りだったと思う。

私達は一緒に、各地の集いに参加し、講演もした。みんなで旅にも出た。北海道、仙台、横浜、沖縄、韓国にも行った。

ところが、浩美ちゃんが乳癌になった、という知らせが入った。信じられなかった。こんなにも、人の苦しみのために奔走していた人が、と思うと、何をどう考えていいのか分からなかった。

まだ子どもも幼い。しかし彼女は再起し、今までにも増して、病人とドナーと医師との懸け橋となっていった。けれども平安な日々は長くは続かず、若い体の転移は速かった。

イラストイメージ平成20年、彼女の後を追うように、私も乳癌になった。福島医大に送られた。そこには幾つかの病院を経た彼女も入院していた。

私は彼女の転移に、かける言葉もなく、会いにゆけないでいた。そんな私の心を見透かすように、彼女が私の病室にやって来た。スポーツ万能の彼女が車椅子に乗っていた。

「どうしてこんな所まで追いかけてくるのぉ~」

そういうと、彼女は私の手を握りしめて、泣きに泣いた。まさかの同病、まさかの同病院だった。

ひと足早く彼女が退院するとき、私たちは指切りをして別れた。彼女が言った。

「元気になって、また一緒に、あの函館に行こう」

それが彼女の最後の言葉となった。

あれから9年、彼女も大好きだった白河の友人たちが、今年もやってくる。今は、浩美ちゃんへの鎮魂のツアーとなっている。

明日も、浩美ちゃんへの献杯から始まる。

(2018年2月記)
審J2006107

大石 邦子 エッセイスト。会津本郷町生まれ。
主な著書に「この生命ある限り」「人は生きるために生まれてきたのだから」など。